筑後川の用語集

筑後川で耳にする用語は?

筑後川は、阿蘇外輪山の九重山にその源を発し、筑後・佐賀両平野を流れ有明海に注ぐ九州最大の河川です。

流域の住民は、穀倉地帯である筑紫平野を潤す農業用水として、また生活用水として筑後川の水を利用してきました。

ここでは、筑後川流域での生活と深いつながりがある用語をご紹介します。

淡水(あお)取水
農業に使用する水を確保するために、有明海の最大6mもある干満の差を利用して、満ち潮とともに海水が逆流してきた時を見計らい、比重が 軽く上に来る淡水だけをクリークへ貯めて農業に利用する取水方法です。
昔は、筑後川の両岸に192ヵ所で行われていましたが、現在は行われていません。
朝倉三連水車(あさくらさんれんすいしゃ)
自動回転式の重連水車。山田堰から引かれた水は、18世紀中頃につくられたこの水車の働きで、川より高い土地にも行き渡るようになり、朝倉地方の農業は飛躍的に発展したといわれる。
例年6月17日から10月上旬まで稼働。日本最古の実働する水車で、平成2年7月に堀川用水とともに国指定史跡に指定された。
また、朝倉市には、菱野の「三連水車」、三島の「二連水車」、久重の「二連水車」の7基が現役で農地を潤している。
荒龍(あらこ)
航路維持や護岸保護のため、川岸から川の中央に向かって張り出す石垣のような構造物です。江戸時代に造られました。
エツ
有明海特産魚です。筑後川下流域の城島(久留米市)から大川市の川筋では、5~7月頃産卵のため川をのぼるエツを流し刺し網でとる漁が おこなわれ、初夏の風物詩となっています。
弘法大師が、流した葉がエツになったという話が伝えられています。
恵利堰(床島堰)(えりぜき、とこしまぜき)
正徳2年(1712年)に築造された。改修を繰り返し、現在はコンクリート製で魚が移動しやすいように魚道が設けられている。灌漑面積は約1,927ha。
大石堰、山田堰、袋野堰と並んで筑後川四大井堰と呼ばれている。
大石堰(おおいしぜき)
大干ばつを機に地元の五庄屋が提案し、寛文4年(1664年)に築造され、数回拡張工事が行われた。昭和28年の大水害で流失後、昭和31年にコンクリート固定堰に改修された。灌漑面積は2247ha。
左岸側には堰や水路の守り神として大石水神社が建てられている。
クリーク
水を水田に導くとともに、貯水機能を持つ用排兼用水路で筑後川下流域に多く見られます。
昇開橋(しょうかいきょう)
昭和10年、旧国鉄佐賀線ができると同時に架橋された全長507mの昇降式可動鉄橋。大型船の往来の度に中央部の昇降橋が上下していた。
昭和62年に佐賀線が廃止された後、平成8年から「タワーブリッジ遊歩道」として観光スポットとなった。平成15年に国の重要文化財に指定された。
捷水路(しょうすいろ)
筑後川はカーブの多い川で、洪水のときはそこから水があふれてしまう危険があります。
そこで、川をできるだけまっすぐにして、水が流れやすいように新たに川をつけかえた場所を捷水路といいます。
久留米市小森野、金島、天建寺、坂口など。
千栗堤防(ちりくていぼう)
洪水被害から領地を守るため、寛永年間(1624~1643年頃)佐賀藩士成富兵庫茂安により12年の歳月をかけて約12kmの堤防が造られました。
デ・レーケ導流堤(で・れーけどうりゅうてい)
舟運の妨げとなる土砂の堆積を防ぎ、航路を確保するために、明治23年(1890)オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケにより作られました。
大川市にあり堤の長さは6kmあります。
袋野堰(ふくろのぜき)
吉井町の大庄屋が私財を投じて築造し寛文13年(1673年)に完成した。
取水口の袋野ずいどう(水路トンネル)2kmの工事は、石工たちや農民たちののみや斧での施工である。灌漑面積は200ha以上。昭和29年に夜明ダムが建設され、袋野堰はダム直上流左岸の湛水域から取水となったため、築造当時の石堰は水底に没して見ることができない。現在の取水口はダム上流約500mの地点にある。
安武堤防(やすたけていぼう)
対岸の佐賀藩によって千栗堤防が築かれたため、久留米藩側が洪水の被害を防ぐために寛永年間(1626~1641年頃)に築いた長さ約4kmの堤防。寛保元年(1741年)に延長された。
山田堰(やまだぜき)
流れが速く堰を造る工事は非常に苦労し、川を斜めにせきとめる方法(「傾斜堰床式石張堰(けいしゃせきとこしきいしばりぜき)」と呼ばれる)で、寛文4年(1664年)に完成。その後改修が行われ、寛政2年(1790年)にほぼ現在の形となった。洪水などで流失・修復を繰り返しながらも、現在もなお昔の面影をとどめている。灌漑面積は約698ha。
用水路建設や人道支援で活躍したペシャワール会の故中村哲医師は、平成22年(2010年)に山田堰をモデルとした取水堰をアフガニスタンに築造した。山田堰展望広場に記念碑がある。

出典:国土交通省筑後川河川事務所、九州農政局筑後川下流農業水利事務所