ダム適地や大きな河川が少ない地勢が福岡都市圏の特徴です。
福岡都市圏の河川は,博多湾に注ぐ多々良川をはじめとする数多くの2級河川はありますが,いずれも流域面積,流量ともに小さく,これまで筑後川からの広域利水,域内のダム建設をはじめ水資源の開発にも積極的に取り組み安定給水の確保に努めてきましたが,近年の小雨傾向もありたびたび渇水が発生してきました。
福岡都市圏は21世紀を迎え都市化の進展や人口の増加が予想され,その基礎となる水道水の安定した給水はさらに重要度を増してくると考えられることから,需要に見合う新規水源の確保が急務となっていました。
しかしながら,水供給の基本であるダムは,建設適地の減少や水源地対策の諸問題等により建設がますます長期化する傾向にあり,急増する水需要に十分対応することが極めて厳しい状況にありました。
都市化の進展のなかで渇水による大きなダメージを受けてきました。
福岡都市圏の渇水は、筑後川導水が始まった昭和58年(1983年)以前では、特に昭和53年(1978年)の大渇水が甚大でした。極端な少雨によるカラ梅雨で、時間制限による給水が287日間におよび、社会生活に大きなダメージを与えました。
筑後川導水の開始後では、全国的にも記録的な少雨となった平成6年(1994年)から翌年にかけて、295日間にわたり給水制限を行いました。
福岡都市圏の広域な利用を目指して1973年に設立しました。
福岡都市圏の増大する水需要に対処するには、筑後川水系の総合的な水資源開発および水利用がなくては解決できないことから、昭和39年(1964年)に筑後川が水資源開発法に基づく開発水系に指定されました。そして昭和41年(1966年)には「筑後川水系における水資源開発基本計画」が決定されました。
その後、昭和46年(1971年)に福岡都市圏の4市18町が「福岡地区広域水道推進連絡協議会」を発足させ、まず筑後川取水事業の受け入れ計画の検討を始めました。さらに昭和48年(1973年)に福岡地区の4市18町を構成団体とする「福岡地区水道企業団」が設立され、浄水・送水施設の建設事業とともに用水供給事業を行うことになりました。
現在では、6市7町1企業団1事務組合(平成28年4月現在)が構成団体となっています。
福岡都市圏の水道用水供給グラフ
福岡都市圏の給水量のなかで、約40%にのぼる送水量を担っています。
「福岡地区水道企業団」では、これまでに筑後川からの取水など広域的な水資源の確保を推進してきました。供給を開始した昭和58年(1983年)以降では、平成6年(1994年)の全国規模での渇水時を除けば、給水制限の実施にはいたっていません。
また、現在では供給団体全体の1日平均給水量に対する企業団送水量の割合は約40%にのぼっており、当企業団が都市圏に果たす役割は大きく、今後の新たな水資源開発にも期待されています。
福岡都市圏の水不足対策として、新たな水資源を海に求めます。
これまで繰り返されてきた渇水の苦い経験をもとに、新しい水資源の開発が、福岡都市圏共通の課題とされてきました。
しかし、現在すでに河川利用率は限界に達していて、さらに近年の少雨傾向や都市化などの影響によって、いっそう不安定さが増すと思われます。また、今後のダム建設については場所の問題や長期化する工期の問題などもあり、とても困難な状況にあります。
このような福岡都市圏の水事情を踏まえ、福岡地区水道企業団は著しく逼迫した水事情や頻発する渇水への対応、また流域外の筑後川水系に多くの水を依存する福岡都市圏の自助努力の一環として、海水淡水化施設整備事業に着手しました。
日本国内でも海水淡水化施設は、すでに数十箇所で稼動しています。
水の惑星と呼ばれる地球。しかし、その多くは海水に占められ、淡水は北極や南極の氷を加えても約2.5%といわれています。しかも人類が飲料水として使えるのは、わずか0.8%しかありません。その限られた水資源の利用は洪水や干ばつなど気象の変化によって、大きく影響を受け続けてきました。
そのため新たな水資源の確保を広大な海に求める「海水淡水化施設」は、現在各国で取り入れられています。すでに日本各地でも、建設・稼働している施設が数十箇所あり、その実績が認められています。